さかきの身の回りの出来事を紹介。
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リアルでの愚痴みたいのが延々と書いてあるので折りたたみにしておきます。
見てもまったく得はありません。
自分の中の気持ちを整理するために書いてますので、いろいろとご了承ください。
あんまり褒められた内容じゃないので不快な思いをする可能性が高いことは事前に記述しておきます。
折りたたみ内容書いた。
明日からまた仕事頑張ろう。大丈夫大丈夫。
いつも通りにやっていけるよ頑張れ自分!
見てもまったく得はありません。
自分の中の気持ちを整理するために書いてますので、いろいろとご了承ください。
あんまり褒められた内容じゃないので不快な思いをする可能性が高いことは事前に記述しておきます。
折りたたみ内容書いた。
明日からまた仕事頑張ろう。大丈夫大丈夫。
いつも通りにやっていけるよ頑張れ自分!
仕事でいらっとすることがあって、でも口に出さなければ割と自分の中で消化できるタイプの人間だと自負してコレまで頑張っていたんですが、そんなことをまったく知らない同僚に「あの手のタイプを相手できるのさかきさんだけだよね。あの人のことは任せたから」と半ば丸投げをされ、滔々とその人に対する愚痴を聞かされ続ければいい加減自分の中で貯めておくことがしんどくなって、「私も苦手です」と少しだけ愚痴りました。
するととたんに苦手意識が全開になってしまって胃が痛い・・・・・・。
だって苦手意識があろうが無かろうが、相手しなきゃいけないことには変わり無いんだもん・・・・。
苦手だろうとそれを回りに悟らせずに仕事するのがプロだと私は思っているのですが、皆は違うのかなぁ・・・・。
例えばそのために、人を見下すことは私はアリだと思ってます。
ただし絶対に口に出さない、表情に出さない。コレは鉄則。
事実コレまでいろんないやなこととか理不尽なことがあっても「この人はそういう人種なんだ。自分が折れてあげなければこの人はただの可哀想な人になってしまう」と思うことで、怒りとかそういうものをやり過ごしてきました。そうすることで仕事は上手く回る、人間関係もそこそこ上手くいく、自分自身もそういう考えがデフォになっているからストレスとも感じない。私が平素と変わらないから周囲も平素と変わらない。思考ひとつで物事が上手く回るわけです。
一方、相手の非の部分指摘することで自分は多大なストレスを抱えることになって、仕事に支障をきたすようになるのならば、上記の行動は正当防衛とか、代償行為として認められてしかるべきだと思うのです。
過激な表現を使うならば
殺すこと・殺したこと(行為そのもの)は悪いことだけれども
殺そうと思うこと(思想・思考)は悪いことではない、ということ。
そういう思考を抱く時点で『危険だ』と排除することはもっと危険な行為なのだと世間は気づくべきだ。
『子供に刃物を持たせるのは危ない』といって刃物を全部取り上げるのが本当に子供のためになるんでしょうか?子供に刃物を持たせるのが危険な理由は、子供が刃物の危険性を理解し切れていないからです。それを根気強く説明するのが面倒くさいから大人は危険物を取り上げるという何の益にもならない方法を取るのです。
『刃物=危険』ではなく、本当に大切なのは『どう刃物を扱ったら危険か?』ということですよね?
危険を排除するだけでは根本的解決は出来ないんです。どうか皆さんそのことは認めましょう。
だからこそ、大切なのは殺そうと思った感情をいかにして自分の中で消化して実際の行動に移さないか、だと思います。
そういった捌け口の仕方を知らないから衝動的な犯罪は減らない。
そういう思考の転換の仕方を学校で教えればいいのに。
学校と言う場は、人間的コミュニティを形成する方法を学ぶ場所なんだから、それこそこういう思考方法を教えてもいいと思うんだよね。
手を出すくらいなら、相手のことをとことん見下してやればいいのに。
心の中で位、相手をとことん見下してけなしても、言葉・表情・その他の行為として表在化しなければ相手にはまったく伝わらないんだから。
こんなことを表立って言ったら思いっきり批判を受けるんだろうけど、自分も相手も不快になるのに比べたらよっぽど建設的だと思うんだけどね。違うかな?
誹謗中傷は言った本人・言われた本人だけでなく、諮らずとも聞いてしまった第三者まで不快な思いをさせます。
言った貴方はすっきりするかもしれないけれど、思ったままを愚痴にすることは余り褒められた行為ではないと言うことを知ってください。口に出してしまえば傷つく人もいるんです。
結論だけ言うなら
不徳な考えを持ってもいいから、皆口に出さず仕事していこうぜ。
ってことでした。
なんかただの愚痴が壮大な思考になっている気もするけど、思考ってそんなモンだよね。
理解されなくてもいいから、共感してくれると嬉しい。
するととたんに苦手意識が全開になってしまって胃が痛い・・・・・・。
だって苦手意識があろうが無かろうが、相手しなきゃいけないことには変わり無いんだもん・・・・。
苦手だろうとそれを回りに悟らせずに仕事するのがプロだと私は思っているのですが、皆は違うのかなぁ・・・・。
例えばそのために、人を見下すことは私はアリだと思ってます。
ただし絶対に口に出さない、表情に出さない。コレは鉄則。
事実コレまでいろんないやなこととか理不尽なことがあっても「この人はそういう人種なんだ。自分が折れてあげなければこの人はただの可哀想な人になってしまう」と思うことで、怒りとかそういうものをやり過ごしてきました。そうすることで仕事は上手く回る、人間関係もそこそこ上手くいく、自分自身もそういう考えがデフォになっているからストレスとも感じない。私が平素と変わらないから周囲も平素と変わらない。思考ひとつで物事が上手く回るわけです。
一方、相手の非の部分指摘することで自分は多大なストレスを抱えることになって、仕事に支障をきたすようになるのならば、上記の行動は正当防衛とか、代償行為として認められてしかるべきだと思うのです。
過激な表現を使うならば
殺すこと・殺したこと(行為そのもの)は悪いことだけれども
殺そうと思うこと(思想・思考)は悪いことではない、ということ。
そういう思考を抱く時点で『危険だ』と排除することはもっと危険な行為なのだと世間は気づくべきだ。
『子供に刃物を持たせるのは危ない』といって刃物を全部取り上げるのが本当に子供のためになるんでしょうか?子供に刃物を持たせるのが危険な理由は、子供が刃物の危険性を理解し切れていないからです。それを根気強く説明するのが面倒くさいから大人は危険物を取り上げるという何の益にもならない方法を取るのです。
『刃物=危険』ではなく、本当に大切なのは『どう刃物を扱ったら危険か?』ということですよね?
危険を排除するだけでは根本的解決は出来ないんです。どうか皆さんそのことは認めましょう。
だからこそ、大切なのは殺そうと思った感情をいかにして自分の中で消化して実際の行動に移さないか、だと思います。
そういった捌け口の仕方を知らないから衝動的な犯罪は減らない。
そういう思考の転換の仕方を学校で教えればいいのに。
学校と言う場は、人間的コミュニティを形成する方法を学ぶ場所なんだから、それこそこういう思考方法を教えてもいいと思うんだよね。
手を出すくらいなら、相手のことをとことん見下してやればいいのに。
心の中で位、相手をとことん見下してけなしても、言葉・表情・その他の行為として表在化しなければ相手にはまったく伝わらないんだから。
こんなことを表立って言ったら思いっきり批判を受けるんだろうけど、自分も相手も不快になるのに比べたらよっぽど建設的だと思うんだけどね。違うかな?
誹謗中傷は言った本人・言われた本人だけでなく、諮らずとも聞いてしまった第三者まで不快な思いをさせます。
言った貴方はすっきりするかもしれないけれど、思ったままを愚痴にすることは余り褒められた行為ではないと言うことを知ってください。口に出してしまえば傷つく人もいるんです。
結論だけ言うなら
不徳な考えを持ってもいいから、皆口に出さず仕事していこうぜ。
ってことでした。
なんかただの愚痴が壮大な思考になっている気もするけど、思考ってそんなモンだよね。
理解されなくてもいいから、共感してくれると嬉しい。
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